ちょっとずつ変えていきたいこと。それは、食生活である。
ぼくは東京にきてから、1年以上ご飯を作っていなかった。ハンバーガーや牛丼、カレーをテイクアウトする日々である。食費はバカにならないと言われるが、それでも(貯金はできないものの)ぼくはずっと暮らしてきたし、飲みに行ったり服を買ったりする余裕もあった。
それでも食が外食中心になると、なんだか生活の幅が狭くなっている気がする。前提として、外食であればなんでも注文できるほどの給与があるわけではない。だから限られた料理を注文して食べるしかないので、食から得られる感情が少なくなっている気がした。
この3日間だけ、ご飯を作ってみている。「なにを作ろうかな?」という考えから「なにを入れようかな?」という考えになるのは何年ぶりだろう。それで作る料理から得られる感情というのは、単に外食から得られる「美味しい」よりも濃厚だ。
自ら料理をするという行為を「食費を浮かすこと」を理由として捉えることが、馬鹿げていた。食という人間にとって重要な生活の一部を豊かにするために、料理をする。ただ「食べる」という完成後のプロセスのみなならず、「調達する」ことや「作る」という完成までのプロセスに自らが関与する。そのことで「美味しい」という感情を豊かにし、食生活そのものを充実させることになる。
きっと毎日料理するのは不可能だが、休日は「手料理」という行為を通し、食生活の幅を広げたいとおもった。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。とはいえ、家系ラーメンも好きなんだよ。