大学の頃から、ずーっと遊んできた友だち。彼らは、知らない人はいないほどの企業に就職した。その会社ではたらくプレッシャーもあったのか、こころを病んでしまったのだった。
そんな友だちたちと、上京してからもよく遊ぶ。けっして仕事の話はしない。過去の話をすることもない。ただバカなことをしてあそぶ。芸人の深夜ラジオのように、お互いボケあったり、つっこんだりするのだ。
とはいえ、たまーに人生の話もする。
彼らは言う<生き急ぐんじゃなくて、ゆっくり生きたい。>
「時間が惜しい。すこしでも有意義な時間にしたい。」そんな想いが、ぼくの中にはある。その想いが彼らからすると痛いほど伝わっていたともおもえる。だから彼らは、ぼくを前にして言ったんじゃないか。
もしかすると、いまのぼくは生き急いでいるのかもしれない。このまま生き急いでいたら、彼らとおなじようになるのかもしれない。そうおもうと、生き急ぐことをやめたほうがいい気もしてしまう。
しかし、結局はどうだろう。めっちゃ考えた上で「生き急ぐ」か「生き急がない」を選択したのであれば、その結果がどうであれ納得できるんだろうな。「生き急ぐことをやめたほうがいい?」と悩むうちは、まだ十分に考えられていない。
ひとは、悩むことのできる唯一の生き物だ。その一方で、悩みを解決できる生き物でもある。「生き急ぐべきかどうか」のように解のない問いこそ、めっちゃ考える。そして自分なりのポジションを取って、堂々としたらいいのだとおもった。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。ワッフルケーキ。