・エリートの意識と雑草魂。
資本主義である以上、、ーーそれが幸せの度合いと比例しなくても、社会生活のレベルに差があるのは認めざるを得ない。
じぶんはエリートなんかじゃない。自分はただ、田舎に生まれて、そこそこの良い大学に入った。そして良い会社に入ったとおもうけど、それも運が良かっただけだ。ただ、今の会社はまるでエリートが入るような会社でもある。
だから勘違いしそうになる。じぶんはエリートなんじゃないかって。あわよくば、エリートの人生に逆転したんじゃないかって。
しかし、ちがう。物心着いたときからエリートはエリートであって、ハングリーに生きるものはハングリーに生きるしかない。それらの違いは、真っ当な意識ができるまでに成り立っていて、それらを社会人になって覆すことはできない。
きっとそんな意識を変えるのは、自分が自分ではなくなってしまうほどの努力やトラブルがなのだ。つまり基本的に自分は変わらずに、雑草魂の人間はその側にいる。反対もその通りである。
仕事をするとき、自分の置かれた立場において、自分をそのどちらかで正しく捉えられる人は強い。「自分は、エリートだから〜」「自分は雑草魂だから〜」どっちでも、その仕事を解釈してするのさ。それが強さになる。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。酔っ払いでーす。