・承認欲求という言葉をつくった人を恨んでいる。
「誰かに認められたい」という欲求はかなり自然だ。この欲求をあえて否定するという考えも良いと思っているけれど、そもそも承認欲求は多くの人に存在している。しかし「承認欲求」という言葉にすることで、なんだか「認められたい」という感情が、いやらしいもののように思える。
ひとによってその想いの度合いは変わるけれど、認められたいのは自然だとおもうし、その想いがエンジンとなってがんばれる。特に若いときはね。ぼくなんか、やっぱり「えらい」と思われたいし、「すごい」と思われたい。それ以上に「えらくない」とか「すごくない」と思われるほうが嫌なんだけどな。
承認されたいだけ。それは悪くない。だからがんばる。その考えは、若いときには成り立つ。変に否定しない。とはいえその考えを強く持ちすぎると、どれだけ頑張っても「もっと承認されたい」という想いで、自分を認められない。ほどほどに認めるし、ほどほどに認めないで、「もっと頑張れじぶん」って言う。
それができるとすごく言いけれど、むつかしいから友だちと飲む。そうすれば自分のかわりに、ほどほどに認めてくれる。いいじゃん。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。