・学校という世界が、すべてだった頃。
髪の毛を切るのだって、校則とか女の子の目線ばっかり気にしてた。先生という存在はルールブックのようなもので、友達との人間関係や、距離感。それが、あれほどセンシティヴだったことはない。今となっては馬鹿らしいほど、なんでも真剣に取り組んでは、泣き、笑い、怒る。ひとえに、学校という世界がすべてだった。
そういえば、そんな時代があったから、ぼくは大学生になって圧倒された。大学生活には自由さがあったし、また海外に行くようになったのもある。すべてがひっくり返るような感覚だった。今まで学んできたものはなに?学校というのは、ちっぽけなもの?自分のいたところから少し足を出すと、世界が広すぎた。
そうして、いま。どうだろう。また、おんなじようになってない?会社という世界がすべてように、汗水垂らして、人間関係に苦しんでいる。あなたはその事実に気づいていて、昔のことを思い出しては、歯がゆい思いをしている。あるべき世界が、実はそうじゃないということを、あなたは知っているはずなのにね。
かなしいけれど、これは自分が踏み出すしかない。他人のせいにできないように、最後はじぶんがきめる。それまでは、ずーっと伝えていきたい。広い世界を知っているあなたに、”すべて”を。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。