・人との交流を、どう思うか。(意味のわからないことを。)
人間というのは、縄張り意識が強い生き物だと思う。自分を社会のなかで複数のカテゴリーに分け、それぞれに所属している。会社だとか、部署だとか、グループだとか。そこに新たなひとがやってきたり、また自分が他のカテゴリーの人々と関わるたびに感じるーー自分の縄張りが侵されようとする怖さ。ほら、国同士の争いだって、結局は「国」というカテゴリーがなければ、争うことのない戦いなのだ。
ぼくは決して、アナキズムに賛同しているわけではない。単純に、自分たちのセーフティゾーンにいれば傷つかなくてすんだことを、ひとは(無意識的に)果敢に挑んでいる。そんなことを、カテゴリーによって分けられた所属の違いが促進させている。つまり所属するカテゴリーの違いは、壁になる。そして、その壁を乗り越えることは、乗り越えなければ生まれなかった苦しみを生む。
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在日コリアンという人々がいて、その人々は被差別の歴史を辿ってきた。それは、彼らが在日コリアンが「在日コリアンではないもの」と交わったことによって生じた悲劇である。その間には壁があり、それぞれが壁を乗り越えることなく生活していれば、悲劇が生まれることはない。特にマジョリティとマイノリティは間にある「壁」を境に、相対化することで苦しみが生まれる。
人々が交流することで、喜びが生まれる一方で、それぞれの所属するカテゴリーの違いによっては悲しみが生まれる。壁を乗り越えずに、それぞれが自分の所属する縄張りで生活していれば、苦しむことがないこともある。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。結局、なにが言いたいの?