敵という存在のおかげで、がんばれるところがある。
だれかを悪者にして、その相手を敵だと思い、倒すためにやってやろうと。そういうモチベーションが、たしかに存在するんだよな。だれかが悪者で、本当に敵かはわからないけど、違う。正直、だれが敵でもよいのだとおもう。大切なのは、敵がいること。
敵ということばと「的」ということば。同じ発音なのさ。敵が「的(ターゲット)」なのかもしれない。ターゲットがあるから、がんばれるように、敵がいるからがんばれるじゃないか。
今までを振り返ってみると、敵だとおもっていたひとは、決して悪じゃなかった。しかし悪だとみなしていたのも事実だ。ひとは敵を「仮想悪」として扱うことで、自分のエネルギーにしている。
結局のところ、敵という存在のおかげで、がんばれるところがある。だから、感謝している。悪でもなければ、むしろ善だ。必要以上に、憎まない。僻まない。恨まない。刺激をもらう程度に、関わろうぜ。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。はやく、まえの世界に戻れるといいな。ねえ、そうでしょう。