何年振りだろう。写経をしたのだった。
写経とは「お手本をそのとおりに写すこと」だ。ぼくが初めてしたのは、ライターのインターンをはじめたての頃だった。上司から、指示されたのである。
写経というのは、奥深い。ただお手本のとおりに書くだけなのに、感じるものは多かった。なぜその構成なのか。その表現なのか。ぼくだったらこうするのに、あのひとはなぜああしたんだろう。
そう考えているうちに、「良いものが、なぜ良いのか」を実感を持ってわかるようになる。自分にはない発想が、良いものを作っていると知れる。
今日、久しぶりに写経をして、こんなことも思った。良い文章というのは、無駄な言葉が全体にとって良い役割をしていること。無駄な言葉は文章を冗長にさせるはずなのに、その言葉が全体のクッションとなっている。
たとえば、無駄な接続詞。「つまるところ〜」「そういうわけで〜」という言葉がいたるところにある。するとその言葉によってリズムが生まれる。
文章だけに限らず、トークというのもそうなのだ。直接的には言いづらいことも、遠回しの表現をする。すると言えるようになるし、相手も汲み取ってくれる。もちろんハッキリと言ったほうが良い場面もたくさんある。
しかし意味のないところにも、意味があるんだよ。意味のあるやりとりだけしてたら、息がつまるわけで。うまく無駄とか、無意味とかを使っていきたいのさ。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。