・こんな話があったとしよう。
ある地域では、ボケとツッコミという機能が根付いている。ボケは話の中に違和感や意味のないことをハサミ、ツッコミはその部分を指摘する。一方である地域では、ボケとツッコミがない。だから人々の話は首尾一貫した、意味のある話だ。それに対して聞き手も指摘することなく、納得した表情をする。
どちらの地域で生活するかによって、その後のトークスタイルというのは変わりそうである。前者の場合だと、情理的というか感覚的なイメージがある。しかし後者の場合、論理的なイメージだ。その上で面白いのは、それらの地域の人々が同じフィールドに立ったときかもしれない。
自分の得意とするトークスタイルが、自分の周りにいるひとのトークスタイルと違うとアジャストしようとする。その逆も然りである。とはいえやはり、自分が文化的に得たトークのスタイルというのは、自分の「強み」であってなかなか変えられない。つまり情理的なスタイルが得意なひとは、論理的なスタイルにすぐさま対応できないのだ。
だから情理が求められる環境で、論理的なスタイルは損をする。また論理的なスタイルが求められる中で、情理が強い人は苦労する。もし自分がコミュニケーションで辛い思いをしているなら、トークスタイルによるものかもしれない。変えられたら、すぐに気持ち良いコミュニケーションができるかもしれないね。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。花粉症なう。