この週末は北陸にいる友だちと過ごしていた。四六時中、一緒にいることになり、食事も友だちとメニューを決めることが多かった。
ふだん一人暮らしをしていると、自分だけのことを考えメニューを決めれば良い。その結果、いくつかある好きなもの(かつコスパが良いもの)を日々の食事の中で回すようになる。
一方で今回の旅ではふたりでメニューを決めるから、自分の好きなものだけを食べられるという訳ではない。たとえばお寿司を食べたいと思っていても、友だちが「カレーが食べたい」と言ったとしたら考慮する必要がある。
誰かと話をして決めた料理を食べることは、一人暮らしをしているときと大きく異なると思った。というのも、その料理に対する話に花が咲く。「やっぱり、カレー美味しいよなあ。」「ここのお店、濃厚で丁寧な味だね。」
ひとりでの”ルーティン化された食事”は(たとえ好きなものであっても)、栄養補給をしている感覚に陥る。食事を「栄養補給」から「食を堪能する」という意味づけに昇華させるために、「美味しい」という気持ちを言語化させることが重要だと思う。
誰かと一緒なら、会話の中で「美味しいかどうか」が出るものだし、「どこかどういうふうに美味しいか」というのも伝える。また相手から「ここが美味しかった」という、自分が気づけなかった着眼点を伝えてもらうことで、より食を堪能できる。
どんな料理においても、空腹が最高の調味料であるように、誰かと話をしながら食べることも同じような役割を担うんじゃないか。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。