・真剣に取り組むときほど、遊びが大切だなあと思った。
遊びというのは仕事や勉強の合間にするもので、経済的や時間的に、また精神的に「余裕」がないとできない。ポイントは、その遊びを持てるだけの「余裕」を感じながら物事に取り組んでいるかだと思う。遊べるほどの余裕が、冷静な判断や奇想天外な発想を産むんじゃないか。
また実際に遊びがあるかを別として、「遊びがなさそうに見えるひと」と関わるのは息がつまる。まるで置き所のない終盤のテトリスのようにーー自由のない、緊張感のあるひと。そのひとに遊びの意識があるか、ではなく「周りが遊びを感じられているか」が事実である。
遊びの部分は取り組みごとにおいて、全く本質的な意味を持たない。しかし、それでいい。(本質的に)重要なものだけで構成してしまうと、やはり息がつまる。自動車でもアクセルとブレーキに「遊び」があるように、ゆとりとしての補助的な価値に十分な意味がある。
まあ、まずは真剣に取り組んでから言おうぜ。と言われるかもしれないが、逆だと思うな。余裕のある人間は真剣にも取り組めるが、真剣にしか取り組めない人間が余裕を持つのは極めてむつかしいと思っている。ラーメン。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。