・先輩は「アジフライ食べよう」と言った。アジフライを食べるのは、何年振りか。ぼくにとって、それくらい馴染みのないものだった。
さっきまで、ふと会社の先輩から飲み会にお呼ばれして、大井町で飲んでいた。その先輩は、飲み屋といえばチェーンより大衆居酒屋派で、そのうえ立ち飲み派である。連れて行ってもらったところも、年季の入った”立ち飲み屋”であり、若い女の子は決して立ち入らない。そんな雰囲気が佇んでいる。
そんなお店で、話題に上がったのが「アジフライ」だった。アジフライを食べるとき、というのは個人の好みが出る。ソースをかけるのか、醤油をかけるのか。タルタルでいきたいひともいる。たんまに「塩」のひともいる。だから唐揚げにレモンをかけるのと話が違って、コンセンサスを取るのがむつかしい。
しかし伺ったその店の場合、少し事情が違うかった。というのも、ソースしかなかったのである。それも「特濃ソース」と「だしソース」というふたつがあって、訳がわからなくなった。ーー「ふつう、ソースでしょう。」「いや、醤油だろう」という会話ではなく、ーー「うーん、特濃ソースかなあ」「ううん、だしソースもいいんじゃない?」という会話になる。
ふつうとは、なんなのだろう。子供のときから「2種類のソースのどちらをかけるべきか」と悩んでいたのなら、醤油やタルタルなど蚊帳の外なのだろうな。アジフライ’sスタンダードが基本的に「醤油orソース」なのは、今までの自分が社会とコンセンサスをとってきた結果にすぎない。ふつうとは、日常を形成する価値観であって、日常に応じて変化する極めて抽象的な概念なのだと思った。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。