・うれしいような、さみしいようなこと。
ひとり暮らしをはじめたときは、その先に待ち受ける世界に胸を踊らせる。「どんな生活が待っているのだろう。」日常に期待をする自分がいた。しかし時間が過ぎるなかで、”自分のためだけ”にご飯を作るのは面倒だし、服を洗うのだって面倒くさくなる。ひとり暮らしは、うれしいようなことだけど、次第にさみしさが迫ってくるものだ。
同じように「うれしいような、さみしいようなこと」は、たくさんある。
「課題が見つからないこと」だって、そうなんじゃないか。もしあなたが「〇〇くんの課題はなんだと思う?」と聞かれたとして、そのひとの課題が全く思いつかなかったとする。その場合、そのひとが優秀だから課題が見つからなかったとも考えられるけど、「今以上の期待をしていない」ことの裏返しだったりする。
というのも課題は、常に現状と未来のギャップである。未来の姿が今よりもずっと高ければ、今の姿から逆算して「課題」は山のように見える。だからもし誰かに期待していれば、その期待の姿と現状のギャップを「課題」として感じるはずなのだ。逆に「課題が見つからない」というのは、現状以上に期待されていないからだ思える。
うれしいようなことは、たしかにうれしい。けれどさみしい部分があって、そのさみしさがバッとやってくるような怖さを覚えています。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。