・ちょっと前の日記のようなもので、こんなことを書いた。
むつかしく考えた先にある「答え」が素晴らしいのなら、むつかしく考えるのは良いことだ。しかしいつも「答え」はシンプルであり、結局のところ初めに戻ることばかりじゃないか。巷では、答えを出さずに立ち止まることを「悩む」と言う。悩みたいのなら悩めばいいが、悩んだとて答えはいつもシンプルである。その事実を頭に抱えたうえでのほうが、合理的に悩めると思った。
とある先輩から、こんなふうに言ってもらった。
まさにその通りだなあと思った。じゃあ、シンプルだからってあまり考えずに「答えはAです!」っていうと周囲や自分への納得度がイマイチなこともあるよなあ
「悩むより考えよう」というメッセージにまつわる話において、なかなか共感してもらえない。とくに悩んでいるひとに伝えるほど、「そうはいってもなあ…」と言ってもらえる。その先輩は、よく知っていて「悩む(A)」と「考える(B)」は全くの別物であり、それを「AでなければB」という並列のように話しても、納得してもらえない。
ーーもしかすると悩むことそのものが、そのひとにとって大切かもしれないという時期がある、と誰がが言っていたのを思い出した。たしかに悩みごとを考えることで「考えゴト」にするひとは、悩むことをないがしろにしがちである。しかし悩むことによって、その無駄に思えるほどたっぷりとかけた時間の分だけ、大きな学びとなるものだ。だから決して悩むことを、否定してはいけない。
とくに誰かが悩もうとしているとき、無理に考えさせたり、はたまた答えを押し付けたりするのは控えたい。その時間をかけることで、そのひとがターニングポイントを迎えるかもしれないのに。「答えはAでしょうよ」と単純に(冷めたように)伝えても”伝わらない”のは、「悩みたい」という想いを持っているからでもある。あとになれば笑ってしまうようなことなのだけど、当の本人からすれば悩みたい。
だから決して、否定してはいけない。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。