・ホントのことを言うと、きらわれる。
ひとは「違う」ということを、受け入れられない。それは「違う」ということを、受け入れようとするならば、自分を否定することになりかねないから。自分を否定することは、むつかしく、相手を否定することで自分を保っている。
あれが好きだのこれが好きだの、言いますよ、たしかに。言うけど、それは「好きのつもり」であるものが、いっぱい混じっているんです。「ほんとうに好きか?」とね、底の底のところで問われたら、「そうでもないかもしれない」って気づかされちゃうことも多いんです。
思うに、「好きのつもり」というものには、興味がないものも沢山詰まっている。もちろん「好き」なように振舞っているけど、ほんとうは「好きじゃない」という答えに近しいものだってある。
人間の一生というのは、もう、食わず嫌いの連続だ。いちいち、向き合っているのがしんどい。面倒くさい。時間がもったいない。そういった理由をつけて、関わろうとせずにいる。
「違う」ということを受け入れられなかったり、「好きじゃないもの」を好きなように振舞ったりして、食わず嫌いを続けるわけだが、そこにあるのは虚しさである。自分が食わず嫌いをしていると気付いたときに、自分がちっぽけに思えてしまう。
ちっぽけである自分を、どう感じるだろう。嫌悪を抱くのか、受け入れるのか、突き放すのか。けっきょくは、また最初の言葉に戻るかもしれない。「ホントのことを言うと、きらわれる。」そこから、あなたはどうしたい?
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。