・目の前のひとが苦しんでいて、涙が出そうになった。それは苦しむひとの気持ちを感じて、というのではなく、どうすることもできない歯痒さによるものだ。そのひとが苦しんでいる、と知ったとしても、ぼくは決してそのひとになれない。そのひとの気持ちを推し量ろうと思っても、分かりきれない。
あらためて、ひとは孤独なのだ。どんなに愛しあっていても、仲が良くても、これから仲良くなるとしても、それぞれの痛みや苦しみ、喜びなどの感覚を脳から取り出して手渡しすることはできない。だからこそ、苦しむひとが自分の痛みを耐えようとするなら尚更、孤独は深化していく。
ひとは、ひとと孤独ながらにして関係を築いていく。そう思うと、少しさみしくなる。とはいえ、ひとには意志があって「自分に、できることはあるか?」と問うてみることはできる。自分なりの答えなど、苦しむ相手からすれば、たいしたことにはならないけれど、たいしたことでなくとも「無い」よりは良い気がする。
違うから、人は人を想う。ぼくには「想うこと」くらいしか。たとえ時間が流れることが苦痛でも、流れる時間に寄り添いたい。そして”あのひと”のなかに流れる感覚が、少しでも時間とともに、変わればいいなあとおもう。ひとは孤独かもしれないが、「独り」だと思った瞬間に、もっと苦しくなるんだよ。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。