・初対面のひとと話すとき、自分が何者かを伝えなければならない。自分がどこからやってきて、何をしてきて、どんなふうなセンスを持つか。ぼくはそれらを話すとき、相手によって「見せたい自分」を切り取ることがある。出身地や成績などは事実だとしても「どう見せるか」は変えられる。だから人によって事実をしまったり、引き出したりしている。生き続ける上では「こう思われたい」という願望があり、過去の試行錯誤を経て自分を編集するのだろう。
たとえば「できる部下」として自分を上司にアピールしたければ、過去にある「約束を守ったエピソード」を話すし、必要以上に気を配る。一方で「できる部下」ではなく「ノリのいい部下」を見せるのであれば、必要以上に気を配るより、上司のからの無茶振りにとっさに反応するのである。こんなふうに自分の一面にあることを、ぼくらは見せたい具合に切り取っている。
そうして相手が受け取った印象が、そのひとの「キャラ」になる。だから全てのひとに、キャラがあると言えるのだ。それでもなおキャラというのは「こう思われたい」という願望から(意識的か、無意識的かに関わらず)生成されるのかもしれない。だとすれば願望の程度が強くなりすぎると、実像としての自分から逸脱してしまい「キャラを演じる」こともある。
初対面のひとと話すとき、自分が何者であるかを伝えなければならない。そのときに、キャラを演じてないだろうか。「こう思われたい」という願望の程度を、うまく調整していきたい。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。