・もう少しだけ、バックパック旅の話をしたいです。
ネパールで、チベット民族のキャンプがあるので行ってみようと思った。なんの気なしに歩き出したものの、とんでもなく遠くて驚いた。ヒマラヤ山脈に沿ってトレッキングしたときも、一つとなりの村まで行こうと思った。気軽な気持ちだったったのに、山を二つ超えるほど、とんでもなく遠くかった。バングラデシュにいたときも、お金を節約したくて、有名な市場まで歩こうと思った。とんでもなく遠くて、疲れもあって、観光もほどほどに帰りたくなっていた。
そういうわけで、歩いて、歩いてばっかりだったけれど、その目的が「どのような場所か」というのを知るよりも「丈夫な身体である」と、認識し続けることだった気がする。風邪をひいたときに、ふだんの自分が「いかに健康であるか」を理解できる。そんなことみたいに、「たどり着けた」という結果をもたらした、丈夫な身体という恵みを受容するのが、うれしかった。これも「歩きたい」と思えた理由のひとつである。
おじいちゃんや、おばあちゃんが、朝早くから散歩をしているのは、同じことなんじゃないかな。「自分はまだまだ健康だ」と、歩いて自信になる。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。