・「プライドなんていらない」という、メッセージを送り続けられた日々。そんなコトを思い出した。
それは、決して皮肉ではない。ぼくがフォリピンでインターンを始めた20歳のとき、教育をして下さった上司から与えられた。<バリューを出さない奴に、プライドはいらない。>なにも、できなかったからこそ。今とはなっては、どうしてプライドがあんなときに生まれたかと思うほどである。
そんな当時、同じくインターンをしていたひとと、東京でご飯を食べた。ひとりは、同じ上司から指導されていて、彼が話をするたびに思い出していく。それは、しっかりと学んだはずの「ノースキル」という生き方であり、忘れかけていた自分のアイデンティティそのものだ。ノースキルは、とにかく踏ん張ること。その耐え忍ぶ時間が重要であると、学んだはずだったのだ。
社会人になっても、ぼくはずっと"ノースキル"という意識でありたいと思う。そのために、プライドと向き合い続けるべきではないか。「自分がやっていることに誇りを持つ」という意味でのプライドが、邪魔になることがある。あくまで、とにかく踏ん張るうえでは、プライドのベクトルを他者に向けない。自分に厳しくなるため、"対自分へのプライド"を持って取り組む姿勢を整えたい。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。