・100人生きていれば、100通りの自己実現がある。自己実現が「幸せ」に繋がるとするなら、100人生きることは、100通りの幸せがあることを示す。似たような幸せもあるけれど、それぞれが異なっていて美しいと信じている。
アルバイトをしていた釣り公園でも、そのようなことを学んだ。そういえば、ふだん関わらないひとと会う機会になって、意外にも、学びが多かった気がしている。朝の5時から公園の開場を待つ常連さんや、「はよかえりたい〜」が口グセの社員さん、年下なのにタメ口上等で話してくるアルバイトの学生。自分との共通点は性別くらいで、年齢も違えば、考え方も違った。すると、ぼくの知っている限りでは、幸せなの…?と疑問に持つことも少なくなかった。
最近になって、その問いに対する答えを、実感を持って考えることができた。それは、ぼくの知ってる限りでは測れない幸せを、”無意識”に追求しているひとがたくさんいることである。釣りができれば幸せ、というひとがいる。仕事場でおしゃべりできれば幸せ、というひともいるし、生きていれば幸せ、というひともいるのである。
考えてみると、ぼくの幸せのサンプルというのは、お母さんとお父さんくらいで、かなり少ない。だのに、それでほんとうに幸せ?と真剣な顔をしていた。そして仕事で成果を残したり、家庭を持ったりすることが幸せの理想だと思っていた。今では、これらが高次で限定的であると思える。「ひとは、ただ、生きている」ということに立ち返れば、もっと緩やかなことを通して、幸せになれる気がした。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。