・ずっと前から言っているのは、ぼくには、たくさんのロールモデルがいる。ふつうロールモデルというのは「こうありたい」と思わせるひとを指す。だから「生き方」みたいな大きなことだけでなく、日常のささいなことでも「こうありたい」と思わせるひとはロールモデルなのだ。その一方で、「こうありたくない」と思わせるひとたちもいる。平気でひとを傷つけたり、ひとの話を聞かなかったりするひと。これは、ぼくの場合であって、ひとによって違うだろう。
ふだん、「こうありたくない」と思うひとのようには、けっしてふるまわない。そう思っているものの、たまに疑いの目をじぶんにかける。物事がうまくいったり、まわりから褒められたりして、調子に乗ってしまうとき、自分をコントロールできなくなる。そんなときにあえて、自分が「こうありたくない」と思うひとみたいになってない?と聞く。ひとの話を、ちゃんと聞けてる?嫌なこと言ってない?制御不能の自分は、「自分」とは思えないことをしているものだ。
大学生を卒業する間近で、そこそこの年齢になっても、どんどん新たなロールモデルと出会う。さまざまな経験が自分の”中身”をつくるなら、「こうありたい」や「こうありたくない」という想いが、自分の”輪郭”をつくる。輪郭があることが、いいのか?といえば一概には言えないけど、はっきりとした輪郭を持つひとが新たなロールモデルになれると思う。もちろん、良いほうのね。
それに大人である以上、若いひとに「ああなりたい」と憧れてもらう。それは、やっぱり、目指していきたいのだ。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。