悩みはなんですか、と聞かれたら「感情的な人との関わりかた」と答えると思います。
いきなりですが、僕はインターンを始めてから「理屈っぽい」と言われることが多くなりました。その認知も助けて感情的な人に、少なからず嫌悪感を抱くようになっていたんです。
もともと、理屈っぽかったのだと思います。それがインターンで、少しばかり記事を書いてみて「論理」というのを知りました。その結果、目に見えて「理屈っぽく」なったのと思います。
ただよく考えてみると、みんな感情的なんです。いや、感情的な部分も持っているんです。かと言う僕も、最近飼い始めたネコに引っ掻かれて「痛いっ!」と、思わず声を荒げてしまいました。僕も「感情的」なんです。
「感情的な人」と「理屈っぽい人」の違いって、なんだと思いますか。
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1つの考えとして、僕は「両者に対する印象の違い」だと思いました。
理屈っぽいひとは、感情的な人に良い印象を抱いていません。その逆で、感情的な人は、理屈っぽい人に良い印象を抱いていないのです。
断っておきたいのは、理屈っぽい人が「理屈っぽいこと」に、必ずしも良い印象を抱いている訳ではありません。その逆も同様です。しかし少なくとも、もう1つの印象よりもは「マシだ」と思っています。
僕の話をさせてください、小学生まで遡りますが、多数決というのが好きではありませんでした。クラスのガキ大将が、自分の感情のままに選んだ道に、まわりが同調していく様が見えていたからです。クラスのガキ大将は、かなり感情的です。その結果、損する人が少なからず出てきます。
感情的な人が自分勝手に振る舞い、建設的なやりとりができず困った経験を何度もしてきました。その結果、損するのは僕でした。自分が損するのが怖いので、感情的なひとを避けようとしているのだと思います。
このように「他方への印象」が、自分を「感情的」や「理屈っぽい」人間にたらしめるのです。しかし、話は戻りますが、みな感情的な部分を持っているのです。
理屈っぽい人にとって「感情的な人との関わり方」という課題は、避けては通れないほど、重要なのかもしれません。
どうやって解決するべきなのでしょう。友だちが言っていたのは「過度に構ってあげないこと」が一番だそうです。割と「ナイス」なアイデアだと思いませんか。
それに、考えてみると僕は「理屈っぽい」というフレームに自分を当てはめて、感情的な人の印象を恣意的に悪くしている可能性があります。
良いところも、たくさんあるはずなのに、怖がる必要なんて、ない?
感情的な人と関わるのは、怖いです。ただ2019年の少しばかりと2020年は、前のような友達の意見を参考にしたり、小さな箱から抜け出して関わってみようと思いました。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。
ラーメン屋は味を変えるのです。