むかし、オードリーという
お笑いコンビが
M-1グランプリで出てきたとき、
「新しい漫才」を見たような
気になったのを覚えている。
ツッコミの若林が
話していることに、
ボケの春日が茶々を入れる
「ズレ漫才」のスタイルは
新しかった。
今まではというと
「しゃべくり漫才」
飲みの席の延長のような、
たわいのない話に
ボケとツッコミが盛り込まれる。
中川家、ダウンタウンが
その良い例だ。
なんばにある劇場で
小さい頃に見た
上方漫才師はほとんど
「しゃべくり漫才」
だった気がする。
そのスタイルが主流だったので、
違和感があったのかもしれない。
違和感があったものの
おもしろいことは分かっていたし、
実際に審査員の評価も
1番良かった。
***
「うまく伝えるのがむつかしい」ときは、
たいていがおもしろいとき。
漫才だけじゃなく、
新しいシステムが生まれる瞬間では
起こりうる感情だ。
なんと言えばいいか、
分からないけど・・・
すごいねえ、どうやって考えたの?
心がワクワクする。
オードリーのときもそうだ。
新しいからこそ
言語化されておらず、
戸惑った。
今の日本は国として
”保守的”な印象がある。
だから「新しいシステム」に
寛容でない気も否めない。
おもしろいのだけど、
「おもしろい」と言えない感覚。
そのような国で漫才は
スリムクラブ、ハライチ、
霜降り明星といったように、
毎年新たなシステムが現れ
多くのひと受け入れられる。
それは漫才が”コメディ”で
「うまく伝えられないけど、おもしろい」
と素直に認めやすい特性が
あるからかもしれない。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。
思えば、孤独は美しい。