やさしい顔をして、平気で騙す。
騙されたひとが気づき、
「あのやさしさとは?」
そんな問いを立てようとも、
決して出てこない答えを前に
”呆然”とした姿だけが跳ね返る。
やさしさとはなんなのか。
あのときは分からなかった。
それでも教室の壁には、
押しピンで止められた
「やさしくなりたい」
ということば。
あのときの自分には、
やさしさとは
「愛の度合い」かもしれない、
と伝えたい。
丁寧さや親切さなんて
輪郭に過ぎず、
核となるのは愛そのものだ。
不器用でも、尖りきっても、
心をホクホクさせ、
シューんと、させれば
そのひとはやさしい。
***
周りに対して愛を持ち
接することができる。
ひとに限らず、モノに対しても、空気に対しても。
愛を持ってひとに接すれば、
知らぬ間に
そのひとの人生を考える。
嫌われようとも、ときには
「あなたは間違っている」
と言ってしまうだろう。
トゲがあるかもしれないけれど、
そのときのあなたは、
間違いなくやさしい。
もちろん”やさしいひと”にも
「やさしくない」自分がいるわけで、
愛の矛先は
周りに向け続けなければならない。
「自分はやさしい」と思ってはダメだ。
だからこそ、
「やさしくなりたい」という願いは、
その割合を変えていく行為だと思える。
ああ、なりたいなあ。いつか。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。
心がホクホクするシーズンになってきた。
ウィスキーがなくても。