フィリピン、マレーシア、ミャンマー、
タイと来て、カンボジアにやってきた。
アンコールワットが
アジア有数の世界遺産として名高く、
たくさんの外国人観光客で埋め尽くされる。
外国人の仕草というのは、興味深くて、
僕もそのひとりだろうが、
思わず考えてしまう。
***
今日の夜に、レストランで隣に座った
欧米生まれと思われる人たちが
サラダを頼みました。
前から思っていることで、
レストランのサラダは
思ったより値段が高い。
メイン料理と変わらないこともあるくらいで
「だったら、メイン2つ頼んだ方がよくない?」
と思う。
だから、サラダを頼むひとの気持ちが分からない。
日本の場合だと、
注文するのは決まって「女子」と
思い込んでいるけれど、
外国人の場合はどうなのだろう。
気になって話を聞いてみると、
「そういうものだ(It's a culture.)」と言う、彼らたち。
まあ、たしかに。
そもそもサラダを食べる文化は
欧米から来たもんなあ。ということ、
頭では分かった。
ただ文化で片付けるんじゃなくて、
「その文化がどうして根付いたか」を考えるべきだと思った。
アンコールワットも、今から1000年前の文化で、
ガイドさんも、ガイドブックも、
内外にわたる建物を解説してくれる。
例えば
「この壁には、当時の有名な物語が掘られているんですよお」
へえーとは思うけれど、
その”解説”というのは表層的で、
そこにたどり着くまでのストーリーに興味がある。
「どうして、その物語が掘られたの?」
と訊ねても、
「これは、そのときの文化だったんですよぉ」
と言って片付けれられるような
説明だと思ってしまった。
***
文化を理解することの難しさは、
その当人も文化を理解することなく、生活していることだ。
そうであれば、異文化理解など不可能に近い。
それでも文化の違う人と生きるのは
楽しいし、関わりたい。
だからこそ、自分とは違う文化に遭遇したときは「なぜ?」という問いをたてず
「情報」として得て、割り切ったほういいかもしれない。
「サラダを注文する人たちなんだなあ。へえー、食の趣味は合わないのかなあ」
と言ったように。
「異文化」を理解しようとするのではなくて、
異文化を持つ「相手」を理解しよう。
これは決して外国人に対してだけでない。
僕にとっては、
サラダを注文するひと全てに言えることで、
あなたにとっては、どんなひとだろうか。
今日も「頭サビ9割」に来てくださって、ありがとうございました。
明日はヴェトナム。フォーが楽しみである。