ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。
弱い雨なら、傘をささずに当たるのも悪くない。
アスファルトの香りが漂ってきて、
ふだん静かな車が、水しぶきをあげれば、
雨が降っていることを実感する。
雨が降るということは、当たり前のことだ。
でも、これは昔からそうだったわけではない。
以前の日本では、呪術的な儀礼として「雨乞い」というものがあった。
雨は神からの恵みで、降らないことは罰である。
そう考えていた時代からすれば、雨が降ることは、当たり前ではないのだ。
科学が進歩して「雨が降ること」は
多くの「あたりまえ」の仲間入りを果たした。
ぼくは「当たり前だ」と思うことが増えないでほしい、と自分に言い聞かせている。
「あたりまえ」になってしまえば、
そのことの”価値”を感じるセンサーが鈍るからだ。
日常における多くの幸せは
「当たり前のこと」に価値を感じられたときだと思う。
そうはいっても「あたりまえ」なんて、人はないがしろにしてしまうでしょ?
ただ「好きだ」って伝えるんじゃなくて、
「アイ・ラヴ・ユー、、、、OK」って。
好きだと伝えられることが、いかに幸せなことか
そして自分が、どれほど価値を感じているのかに気づくようにしよう。
そういうふうにすれば、まわりの「あたりまえ」は減っていくと思います。
本日も「頭サビ9割」にきてくださって、ありがとうございました。
あなたが、読んでくれていることも、
僕にとっては「あたりまえ」じゃないんだね。