どうも、ナオキケーこと北山直樹です(naokin0811@twitter.com)
ここ最近「自分を持っているね」と言われます。「自分を持っているヒト」とはどういうヒトでしょうか?
イメージしてください。みなさんが想像したのは、イチローや、本田圭佑のような人物ではないでしょうか。共通しているのは、”自分の流儀”を持っているヒト。噛み砕けば、「自分の意見があるヒト」を指すのだと思います。
でも、本当に自分を持つ必要があるのでしょうか?
「自分を持つ」意識は必要ない
結論から言うと、「自分を持つ」必要はないと思います。
こう言い切れるのは「自分を持つ」と、人からの影響を受けなくなってしまうからです。というのも「自分を持つ」と、周りからのアドバイスを受けるとき、素直に受け入れられません。「一旦咀嚼して、自分の中に取り込む感じ」です。自分の意見が、他者のアドバイスを邪魔してしまい、インプットに時間がかかります。「インプット効率が悪い」わけです。
そもそもなんですが、周りからのアドバイスって大事です。特に自分を成長させたいときは、「素直に人からの意見を聞く」ことは手っ取り早いです。というのもインプットの量が増えるので、そのぶんだけアウトプットができることも増えるからです。アウトプットできることが増えると、成長できますからね。周りからの影響は成長したいときこそ、大事だと言えます。
つまり大学生のようなノースキルで、成長しないといけない人ほど、人からの影響は素直に受け入れるべきです。主観的に「俺って自分持ってるなあ」というのは、悪影響でしかないですね。そういう人ほど、自分の成長を自分自身で阻害しています。
「自分を持っている」と思われることは良い
一方で、周りから「自分を持っている」と思われることは良いです。なぜなら、これはたくさんの意見を取り入れた上での”自分”が評価されているからです。自分を持っていないからこそ、成長することができた”自分”という客観的事実を素直に喜びましょう。
少し矛盾しているように見えますが、「自分を持っている」を”思う”のと、”思われる”のでは全く違います。
前述のイチローや、本田圭佑も、きっと「自分を持っている」と言われるまでに、いろんな人に影響を受け、彼ら自身を確立したことです。大事なことなので2回言いますが、「自分を持っていないからこそ、周りからの影響によって成長できた」わけで、その結果、「自分の意見を持つほどになった」のです。
終わりに
思うに、僕自身も割と「自分を持っていないヒト」だと思っています。インターン開始当初は、「出来ないのだから、上司の言うことは全部聞こう」と言い聞かせたものです。その積み重ねの結果として、最近「自分を持っているね」と言われるようになったのですから、「自分を持つ」必要なんてないのでしょうね。